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海外活動報告

懐かしい米国(2016年8月11日〜16日)

1989年〜1991年、わたしはアメリカ・ニューヨーク州のロチェスタ大学整形外科に留学していました。日本はバブル景気真最中でした。留学時代に目にしたのは自信にあふれた日本製品。SONY、Panasonic、TOYOTA、HONDAなどなど、アメリカ人も日本の製品は少し高価ですが高品質であることを認めていて、わたしが帰国する時にそれまで使っていたホンダ・シビックを売りに出した際は即日買い手がつきました。アメリカにいて決して卑下することなく、むしろ日本人であることを誇りに思えた時代でした。

あれから四半世紀25年が経ち、当時お世話になった人や勤務していた場所を訪れる最後の機会かもしれないと思いメールで連絡しました。便利になったものです、以前は手紙で連絡して時間がかかったことが今やすぐにできます。3人に送ったところ即日返信がきました。皆、わたしのことをよく覚えてくれていました。

ケンタッキー州ルイビル(Louisville)

先日、亡くなったモハメド・アリが生まれた所です。ホテルのロビーで待ち合わせると後ろから「Hi, Motomi」の声、すぐにMark Myersと分かりました。彼はロチェスタ時代、整形外科の1年目で大学病院に勤務したばかりでした。マサチューセッツ工科大学を卒業後、オハイオ州立大学医学部に入って卒業後、一般外科を2年研修した後、整形外科医になりました。現在はルイビルから車で30分ほどのFrankfort Medical Centerで診療をしています。興味深かったのは、この病院で彼は2人の医師と3つの診察室をもつ場所を曜日を変えてシェアし月曜日と隔週の水曜日に外来を行い、隔週の水曜日と火曜日は手術をしていること、木曜日と金曜日は別の場所で外来をしているので、結局3か所で外来診察をしていることになります。ほかの2つの場所でも、他の医師とシェアして診療しています。日本ではできないシステムなのですが、効率的な場所の使い方と思いました。

彼は脊椎外科医で、年間200件ほどの手術をしています。わたしが年間600件の人工股関節置換術を行っていることを知ると、アメリカでもそれほど人工股関節置換術をしている医師はいないと驚いていました。思い起こせば2004年シンシナチに行って、Dr.Swankが年間400件の手術(人工膝関節置換術も含む)をしていることを聞き、驚愕したものです。あれから12年以上経って、今度はアメリカ人に驚かれるのも世の流れでしょうか。

Dr.Myersと年齢的に近いこともあって気が合いました。留学時代は彼の実家―信号が1つしかないオハイオ州の田舎―に行き、彼の両親に会って典型的な質実剛健のアメリカ人と感じました。当時彼はアメリカ陸軍の奨学金を受けていたので、父ブッシュが始めた湾岸戦争に出征するときに軍服姿の彼を空港まで送り、戦争がない平和な日本であることの幸福を感じたものでした。今回、わたしが行くことが分かって日本のことを勉強したのでしょうか、シンゾウ・アベは憲法を改正して中国や北朝鮮に対して戦争を始めるのか、沖縄の米軍基地を日本人はどのように考えているのか、トランプは大統領になれないから日本は安心していい、などという時事問題から、明治維新、七人の侍、宮本武蔵などの話題で夜遅くまで話し合いました。

Frankfort Medical Center外観
写真1:Frankfort Medical Center外観
病室
写真2:病室
Dr.Myersが診療をしているスペースはFrankfort Specialty Clinicと名付けられている。彼を含め3人の医師でシェアして使用。
写真3:Dr.Myersが診療をしているスペースはFrankfort Specialty Clinicと名付けられている。
彼を含め3人の医師でシェアして使用。
外来診察室
写真4:外来診察室
3人の医師の名前が書かれた表札
写真5:3人の医師の名前が書かれた表札
手術室の医師控室。このようなスペースはまず日本ではお目にかかれない
写真6:手術室の医師控室。このようなスペースは日本ではまずお目にかかれない
医師控室のキッチン。飲み物が充実しているのもアメリカの病院の特徴
写真7:医師控室のキッチン。飲み物が充実しているのもアメリカの病院の特徴
病院駐車場のすぐ横にドクター・ヘリが駐機していた
写真8:病院駐車場のすぐ横にドクター・ヘリが駐機していた

ニューヨーク州ロチェスタ(Rochester)

アメリカン航空を使ってルイビルからシャーロットで乗り継いでロチェスタに向いました。荷物がBaggage Claimに出るまでかなり時間がかかったのですが、その場所でロチェスタ大学病院(Strong Memorial Hospital)のイメージビデオがずっと流れていました。空港内にも大学のポスターが貼ってありました。ロチェスタは、以前、ゼロックスやコダックがあって裕福な都市だったのですが、ゼロックスは税金がより安い西海岸に移転し、コダックは倒産しました。現在のロチェスタを代表するものは大学なのかもしれません。

宿泊するホテルには、当時の上司だったエド(Dr. Edward Puzas)が待っていてくれました。現在69歳、以前より太っていて変形性股関節症のため左下肢をひきずって歩いていたのが痛々しかったので、日本に来てくれればわたしが手術しますと申し出ました。その夜は当時研究室にいて現在は準教授のMichael Zuscikも交えて、昔話をしながら会食をしました。

翌日にエドの案内で、大きくなった研究室を見学しました。今や2200平方スクエア(620坪)ですから、わたしがいた時の10倍です。70名以上のスタッフがいてグラント(科研費)も多く、整形外科の研究室では全米でナンバー1になっています。エドは昨年まで副学部長で、今はいくつかあるうちの研究チームの一つを率いていました。わたしはロチェスタ大学整形外科で臨床と研究を目的に留学しましたが、途中で研究が忙しくなり成果も出、楽しく仕事をしていました。エドは当時のモトミは週末も働いていたと言って、わたしが土、日も働いていたことを覚えていました。わたしが海外からの初めての人間とのことですが、今や中国の大学研究室と提携していますから隔世の感があります。動物用のCT、手術室も備え、ここで研究していたら素晴らしい発見に出会いそうでした。彼から最近の研究についてレクチャーを受けたのですが、わたしが研究していた酒石酸抵抗性酸性フォスファターゼの研究が引き続き行われていたことを聞き嬉しく思いました。

2年間で彼と一緒に研究をし、7編の論文を発表しましたが、精力的に仕事できる理由の一つが偉大な科学者の講演を生で聴けることです。わたしは二重らせんで有名なジェームズ・ワトソンの講演を聴きました。ネットが発達している現代ですが、それでも生身の人間から直に聞く話はとても刺激的です。1959年ノーベル医学生理学賞を受賞したアーサー・コーンバーグはロチェスタ大学医学部出身で、メダルが展示されており医学部学生に刺激を与えているように思えました。最後に、昼食、夕食とよく利用した病院のカフェを見学しましたが、大分リニューアルされていて昔の面影はありませんでした。

研究室入口前にて。
写真9:研究室入口前にて。
研究室入ってすぐの壁に掲げられていた写真。これで研究員の半分ほどとのこと。
写真10:研究室入ってすぐの壁に掲げられていた写真。
これで研究員の半分ほどとのこと。
実験動物用の手術室。日本だと管理の関係で別棟にあって不便だがここでは同じ場所にあって便利。
写真11:実験動物用の手術室。
日本だと管理の関係で別棟にあって不便だがここでは同じ場所にあって便利。
顕微鏡を覗いているわたし。以前はこのような業務を毎日のようにしていた。
写真12:顕微鏡を覗いているわたし。
以前はこのような業務を毎日のようにしていた。
小動物用のCT。
写真13:小動物用のCT。
ノーベル賞メダル(レプリカ)が展示されている。
写真14:ノーベル賞メダル(レプリカ)が展示されている。
Frankfort Medical Center外観Dr.Puzasのオフィス。25年前と変わらない同じ部屋。ここで彼とミーティングをした懐かしの場所。
写真15:Dr.Puzasのオフィス。25年前と変わらない同じ部屋。
ここで彼とミーティングをした懐かしの場所。
整形外科カンファレンスルーム。25年前と変わらない。
この部屋で学会前にリハーサルをよくした。
写真16:整形外科カンファレンスルーム。25年前と変わらない。
この部屋で学会前にリハーサルをよくした。
病院のカフェ。
写真17:病院のカフェ。
ロチェスタ空港で。
写真18:ロチェスタ空港で。
マイアミに研究発表に行く彼と帰国するわたし。

雑感として

最近の25年間はわたしにとって激動の時期でした。現在のように人工股関節手術を専門にする医師として診療しているのも、偶然の積み重ねという気がします。アメリカ留学は不安でしたから「福翁自伝」を持参して渡米し、折にふれて読みました。しかし、周囲の人間の暖かい好意のお蔭で今や良い思い出だけしか残っていません。滞米していた時期は日本がバブル景気で元気であったことは、アメリカに対して自信に満ちた日本人として行動することができました。今、アメリカに行ってもそのような感覚にはならないでしょう。バブル景気は否定的に捉えがちですが、わたしにとっては精神的にとても助かり仕事に没頭することができました。

25年前のロチェスタ大学整形外科の研究室スタッフ全員と撮った写真19を掲載します。これが始まりでした。彼らが発展していく初めの一歩に参加できたことは、わたしにとって秘かな喜びです。エドから見たら、今のわたしはどう映っているのでしょうか。25年前日本に帰る時期が近づいたとき、エドが日本に帰らずもっと長く自分と一緒に仕事をしないかと提案してくれたのですが、家庭の事情があるので帰国しますとお断りしたことが、別の道を進んだ契機になりました。パラレル・ワールドではアメリカで仕事をしているわたしがいるかもしれません。

写真19
写真19
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