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海外活動報告

海外活動報告

最後の授業2024(2024年7月10日~11日)

マルクグレーニンゲン整形外科病院(Orthopädische Klinik Markgröningen)
新型コロナウイルス感染拡大で海外の病院視察を控えていたのですが、今回は5年ぶりに海外の病院を訪問しました。7月10日(水)21時40分羽田発全日空で14時間、11日(木)5時30分フランクフルト空港に到着、そこから車で2時間かけてドイツのMarkgröningenという町にあるマルクグレーニンゲン整形外科病院のフィンク(Bernd Fink)教授を訪ねました。フィンク教授は2017年にわたしのクリニックに来て、わたしの手術を見学したことがあります。

この日は朝から3件の人工股関節手術があり、わたしが到着したときは既に1件終わっていて、2件目と3件目の手術に参加しました。
  • 手術前の手洗い。世界共通の準備。

  • 本日の最初の症例

手術はフィンク教授、若い医師1名、器械出し看護師1名、そしてわたしの4名で行われました。側臥位、後方進入法で行われましたが、フィンク教授は年間およそ1000件の人工股関節手術(再置換も含む)行っていますので手慣れたものでした。週に5日20件の手術と、週に2日(半日x2)の外来を行っています。わたしも後方進入で行っているのですが、フィンク教授の手術創は10から15㎝あります。患者は100㎏以上の体重があるので手術創が大きくなるのは仕方がありません。最初の手術は患者の骨質が良くないということで大腿骨ステムをセメント固定し、カップをスクリュー固定しました。2件目はセメントレスでした。
  • 1件目の手術中

  • 手術後

手術後に病院を案内してもらいました。マルクグレーニンゲン整形外科病院は260ベッドあり、関節外科、脊椎外科、スポーツ外科、上肢外科の4つの部門があり、年間手術件数は13,000件、手術件数ではドイツ有数の病院です。フィンク教授は関節外科部門のトップであり、関節外科全体で年間3,000件以上の手術を行っています。
スポーツ外科で手術が行われたプロ選手のサイン入り写真が多く飾っていました。
病室は個室と2人部屋の2タイプ。ドイツ人の平均身長が高いせいか、天井が高く、わたしにとっては広すぎです。
  • フィンク教授の部屋

  • フィンク教授とのディスカッション

リハビリテーション室では外来患者もリハビリを行うので広めのスペースであり、フィットネスセンターのような雰囲気でした。
この病院で興味深かったのが義肢・装具部門です。病院のなかに義肢装具会社が入っていて、30名のスタッフがいて3Dプリンタなどを駆使して作成しています。担当者が、昨日はアメリカのプロアイスホッケー選手が来て、膝装具を作成したと言っていましたが、わたしは知りませんでしが、スポーツ整形外科のなかでは有名な会社のようです。病院のなかにあるので医師、患者にとってはとても便利と思いました。
病院のカフェテラス。ちなみに、この病院は私立です。
アグノー病院センター(Hospital Center De Haguenau)
マルクグレーニンゲン整形外科病院を訪問した翌日、7月12日(金)に、フランスのアグノー(Haguenau: フランス人は“H”の発音ができないのでハグノーではなくアグノーと発音)にあるアグノー病院センターのミッシェル・ブラックス(Michel Brax)先生を訪問しました。この病院は200床ほどの規模ですが、内科、外科、小児科、産婦人科などがある救急病院です。彼は2019年にわたしのクリニックに来てくれてわたしの手術を見学しました。たいへん愉快な医師でずっと喋っている感じです。彼の年間人工股関節置換術は約300件で、およそ50%は日帰り手術とのこと。

当日は2件の手術がありました。彼は前側方進入法をしています。手術はブラックス、2人の研修医(1人はモロッコ、1人はチュニジアから来た医師で1年間研修)、そして器械出しの看護師です。わたしは4人目の医師として2件の手術に参加しました。
  • ブラックス先生の指導を受けている医師たち

  • 手術室には窓があります。

  • モロッコ人研修医

1件目の人工股関節手術は外来手術です。
全身麻酔のみで硬膜外麻酔は使用しません。日帰り手術なので麻酔の影響を考えるとこのような麻酔になります。しかしながら手術中に、1%ロビパカインを100ml関節近傍、皮下組織に注射していました。わたしも術後の鎮痛目的にロビパカイン40mlを使用していますが、彼はかなりの量を注射していることになります。

手術中

  • 手術後回診した時には、食事(パン1個とコーヒー)が配膳されていました。

  • 手術前後のレントゲン写真

2件目の手術終了後にも回診した際には、理学療法士も来て患者に付き添いながら1本杖にて廊下での歩行、階段昇降を行いました。
  • 日帰り外来手術を受けた患者さん(術後)とブラックス先生

  • 手術後初めての歩行

患者に痛みはないのか聞いたところ、無いとのこと。
手術中の局所(伝達)麻酔の効果でしょう。ただし麻薬系鎮痛薬は使用していないとのことでした。
  • ブラックス先生の部屋には2019年彼がわたしのクリニックに来院したときにプレゼントしたコンサドーレ札幌のTシャツが置いてありました

  • エッフェル塔だけ着色されたお洒落な写真

手術室はとにかく寒い!温かいカフェラテで一息。この自動販売機にはエスプレッソ、カプチーノなど各種コーヒーがあり、ミルクと砂糖の量は自分で決めることができるので、わたしは砂糖とミルクを増量しました。ブラックス先生の差し入れです。
  • アグノー病院センターを訪問する前日に宿泊したストラスブールにて。
    市内をライン川が流れています。

  • ストラスブール大聖堂。建造が始まったのが1015年。

グーテンベルク広場と銅像。グーテンベルクは15世紀の人、ストラスブールで活版印刷術を研究し、1440年頃完成させたとのこと。

ブラックス先生との会食の時は、彼が生まれたレバノンの料理を頂きました。大皿に盛りつけられた料理を各自が取ります。この日は6人で頂きました。ブラックス先生が注文してくれました。
最後の授業
わたしの小学生時代の国語の教科書にはアルフォンス・ドーデの短編小説「最後の授業」が題材としてありました。ドイツのアルザス・ロレーヌ地方がフランスからドイツに割譲された時代(1800年代)の話です。フランス領アルザス地方に住む学校嫌いのフランツ少年は、いつものように村の小さな学校に遅刻しましたが、先生は怒らずに穏やかに話し始めました。「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の最後の授業です。フランス語は世界でいちばん美しい言葉です。そして、ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」やがて終業を告げる教会の鐘の音が鳴り 先生は黒板に「フランス万歳!」と大きく書いて「最後の授業」が終わります。これを聞いたフランツ少年は激しい衝撃を受け、いままで授業をさぼっていた自分を深く恥じます。

いかにも国語の授業にふさわしい題材で、わたしも当時そのように感じました。しかし現在は「最後の授業」は教科書から削除されているそうです。何故か?この小説では、ドイツ人はフランスから領土を奪って、フランス語を強要する悪役として描かれていますが、実際はアルザス・ロレーヌ地方は元々ドイツの領土ですし、現地の言語はアルザス語でありドイツ語の方言とのこと。この小説はドーデが反ドイツ感情を煽るためのプロパガンダ小説だったのです。文部科学省が教科書から削除したのは妥当でした。