海外活動報告
英独訪問記(2006年10月29日~11月4日)
シンシナチのダウンタウン
ここは私立病院でフロントの壁にはモナコの故グレース・ケリー王妃の写真が飾ってありました。 彼女の寄付を基に設立された病院と想像しています。院内の写真撮影は禁止でした。
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同病院の手術室にて術衣を着用するところ。場所が替わってもいつもの習慣です。
この日はMIS:2件、通常人工股関節:1件、表面置換:1件、再置換:1件の計5件で、これをほぼ午前中に終わらせてしまいました。スタッフは彼女以外に3名いて、彼女は皮膚を切開しインプラントを挿入、筋肉を縫合したところで次の(向かいの部屋)手術にはいります。野球のように抑えの医師がいるわけです。(格好よく言うならば、わたしは先発完投型になります)
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表面置換型人工股関節のレクチャーを受けているところ。当日は英国と米国の医師と一緒でした。
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英国でのブレークはやはりこれです。
よりよいナビゲーションシステムの開発を目指してエンジニア達とのディスカッション。
イギリスとドイツの医療を見学して思い出したのが「白い航跡」(吉村昭、講談社文庫)です。イギリスに留学した海軍医・高木兼寛の伝記ですが、実証主義、臨床医学(論より証拠)のイギリス医学と学理主義、基礎医学(証拠より論)のドイツ医学との対比が鮮明です。かつての日本の軍隊に多かった病気に「脚気」(足のだるさや腫れ、手足のしびれ、動悸、食欲不振、歩行困難、心臓麻痺、など)があります。明治初期、軍人の1/3以上が脚気患者でした。兵士が摂る食事が原因と考えた高木は兵士達に肉やコンデンスミルク、パン、麦飯を摂らせてその数を激減させます。しかしながら、脚気の原因として脚気菌の存在を信じるドイツ医学の信奉者(陸軍や帝国大学医学部)によって徹底的に反論されます。その急先鋒がドイツ留学を終えて帰国した森鴎外です。食事を改良しなかった陸軍は日露戦争の戦死者47,000名に対して、脚気による死亡27,800名という戦慄すべ犠牲者を出しましたが(海軍はゼロ)、陸軍軍医総監にもなった鴎外は最後まで食事の変更を許しませんでした。明治43年、鈴木梅太郎がオリザニンを発見、その後脚気はビタミンB1欠乏症であることが判りました。高木の洞察力が鴎外の想像力を上回ったのでした。
イギリス医学史を見ると、理論は未構築でも病人にとって良ければ治療法として採用する風潮を感じます。種痘のジェンナー、防腐法のリスター、そして人工股関節のチャンレーなど。鴎外のような知の巨人でも(だからこそ)理論的なドイツ医学から抜け出ることができませんでした。